BQLifeは、ただの言い訳?

Illustrated by Midjourney

“オルタナティブ”と言おうがBQと言おうが「結局はB級。ただの口実でしょ?」と思われる方も多いと思うので、クドイようですが当「BQLife」サイトが“オルタナティブ”であることに何故こだわるかという説明をもう少しだけさせてください。

結論を先に言えば、“オルタナティブ”であることは実は全ての人にとって『幸せになる唯一の道』だと私は考えています。

ですから、繰り返し説明させていただきたいのです。

注)”オルタナティブ” : 通常は「代替」「二者択一」という意味ですが、当サイトでは「非主流」であり「型にはまらない」という意味のほうに重点を置いています。(ご興味があればこちらもお読みください)

最近、多くの人が幸せでない理由

「JUNK爆笑問題カーボーイ」という投稿ラジオ番組で、太田さんが流行らせようとして流行らなかった「哲学的〜!!」というギャグのコーナーがありました。

誰かは忘れたのですが、ある常連投稿職人が送った
「人類に、SNSは早すぎた。(哲学的〜〜!!)」という投稿に、苦笑しながら感心したことがあります。

どうもSNSが流行り出してから人々はお互いで「不幸への道」に足を引っ張り合いをしているようで、一部のインフルエンサーを除いて人類は少しも幸せになっているように見えません。

インターネットは、それが流行り出した1995年頃にネットに夢中になった人たちが期待したようには、進化していないように見えます。

当時は、世界中の人たちがネットでつながりお互いの知識を共有しあい、そこから生まれる集合知が人類の幸福に何らか寄与するのではないかという期待が、多くのネット民の胸中にあったはずです。

ネットが戦争のためのプロパガンダやフェイク情報の発信や詐欺などに使われることについては、ネット黎明期でもある程度予想できた事かもしれませんが、SNSでこれほどまでにお互いを誹謗中傷し合う今の様な世界になる事を予測できた人は多くはなかったはずです。

それぞれがそれぞれの知恵や知識を共有し、お互いにリスペクトし学び合いながら、人類全体で集合知を育て幸せを育てる。

それこそが、インターネットが人類にもたらされた意味だと(たとえ軍事技術から生まれたものであっても)楽天的に信じていたように思います

しかし、現在のSNS空間における多くの人の言動は、目を覆うばかりです。

自分の知らない事や理解できない事については耳を傾ける前にシャットアウトし、他人と差別化されようとして敢えて汚い言葉を選び、他人のミスや目立った言動を罵ることで(それが本人の低俗さを物語るものだとも自覚せずに)自分の高潔さの証明にしようとし、しかもせいぜい証明したところでそれは匿名で守られた薄っぺらい自分でしかない。

私には、ネットの初期に期待された「共感、思いやり、互助」という地点からは「無関心、排斥、独占」という遠く離れてたところに来てしまった様に見えます。

これはネットの技術のせいではなく、冒頭のギャグにあったように、ひとえにネット技術を使いこなすべき人類のほうの未熟さに起因するものではないでしょうか?

人類がお互いに「不幸の道」に向かって足を引っ張り合っている私が感じるのは、私だけではないないはずです。

では、SNSという技術を幸せになるために使いこなすとしたら、人類はどのように進化するべきなのでしょうか?

私はそのキーワードが“オルタナティブ”であると信じています。

それぞれがそれぞれに“オルタナティブ”であり、それぞれ異なったリスペクトされるべき存在であるという認識を全員が持つところから、もう一度始めなければならないと考えています。

斎藤ひとりさんの説く「幸せの道」

斎藤ひとりさんは私が最も尊敬する大人物の一人ですが、それはひとりさんが長者番付日本一を長年続けられたからではなく、その生き方や発言が、“オルタナティブ”であることを楽しみながら一貫していらっしゃるからに他なりません。

ひとりさんは、お金持ちという意味では超一流ですが、その考え方が私の定義する”BQ”すなわち”オルタナティブ”に徹しているように見えます。

ひとりさんのものの見方、考え方、行動の仕方から発言まで、それは一貫して他のどんな日本の経営者とも異なっています。

つまり「非主流」であり「型から外れて」います。

そのお話しはYouTubeや著作などで触れることができるので、そちらをご覧ください。

あなたの常識と違い過ぎて、つまり“オルタナティブ”すぎて、すぐには受け入れられない話も多いかもしれません。

実際にひとりさんも「この話は信じなくていいからね〜」と断ってから話す場合も多々あります。

しかし、たとえ信じられない話だとしても、最後まで聞くといつも何故か腑に落ちてしまいます。

そんな“オルタナティブ”なひとりさんなのに、雑誌「President」で紹介していたりして多くの経営者のファンを持っています。

むしろ“オルタナティブ”だからこそファンが多いとも言えるかもしれません。

そんな一人さんが語る話の中でも大切な話がこちらです。

この中でひとりさんは言います。

『幸せの道ってどこにあるんですか?』

そんなもん無いんです。非常に残念です(笑)

草原とおんなじです、、、、いろんな人がいます。

みんな自分の好きな道を歩きます。

その道を『きょう朝、目が覚めて幸せ』『ご飯が食べられて幸せ』『みんなといられて幸せ』

『幸せだ幸せだ』と言いながら歩いた人の後ろに幸せの道ができています」

人は本来、基本的に“オルタナティブ”

ひとりさんは別の動画の中で、「誰でも一瞬にして幸せになる方法」として「幸せになるには足るを知ることだ」と話をしています。

先の話よりも当たり前でよく言われることなので、ちょっとがっかりしたかもしれません。

しかし、これは本当に幸せの核心をとらえた話ではないでしょうか?

そして、これこそが私の考える“オルタナティブ”の核心です。

みんなそれぞれに違う道を歩いているのです。

幸せと聞くと、どこか一流の幸せな生き方みたいなのものがあると考え、お金があって権力や名声もあって、自由気ままに周りのことなど気にせず生きているスーパー芸能人や実業家のような生き方を想像しがちです。

なんとなく、どこかの国のスーパーエリートみたいな感じではないでしょうか?

でも、よく考えるとそんな人生は本当に幸せなのでしょうか?

それなのに、そんな人生と自分の現状を比較して嘆くことに意味があるのでしょうか?

そんな定型的な一流の道から自分が外れていると思った瞬間に不幸の道が始まるのではないでしょうか?

みんながそれぞれ違うということは、みんなが全員“オルタナティブ”であるということです。

それぞれの「満足の基準」や「満ち足り方」は必ず異なるはずです。

他の人と比べて足りないとか思い通りにならないとか考えることには意味がないばかりか、毒でしかないのではないでしょうか?

どうかみんなが自分が“オルタナティブ”であるということに気づいて、安くてもいいし、他の人が評価しなくてもいい、自分が心から満足できる道を歩くこと。

そこにひとりさんの言う「幸せの道」があるのだと思います。

どうか多くの人が胸を張ってBQLifeを実現して幸せの道を歩いてほしいと願うばかりです。

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